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~校長室の窓から~「 放送朝礼のお話し(倫理科 吉岡先生)」

2021.02.15

みなさん、おはようございます。

天気も悪く、登校しても何だか身体が重く感じている人もいるかもしれませんね。ですが、オンライン授業から対面授業になり、少しずつ学校での生活のペースが戻りつつある人も多くいることでしょう。

ふと、カレンダーを眺めてみると、早いもので、2021年も1ヶ月半が経ちました。

そのような中ではありますが、少しだけ私の年末年始から今日はお話をしていきたいと思います。

昨年末、学校から家に帰ると、ポストにとあるダイレクトメールが私宛に届いておりました。

宛名側には、差出人の名前がなく、恐る恐る裏を見てみると、なんとそこには5年ぶりの差出者の名前がありました。書かれていたのは、数回程訪れたことのある美容院が移転したとの挨拶状でした。今度、今の髪型からどのようにアレンジしていただけるのか、この髪型で訪れてみたいと思います。

そして、年明けのことになりますが、今日お伝えしたいことにつながるテレビ番組についてお話します。それは、1月4日のNHKのニュースウォッチ9というテレビ番組です。その番組の中に、『ローマ人の物語』という本等で有名な歴史小説家の塩野七生さんが出ていました。塩野さんは、コロナ禍におけるこの世界と日本について、話をしていたのですが、私は彼女のお話の中から大きく2つ程、考えさせられるものがありました。

1つは、上に昇っていくのにエスカレーター、エレベーターと階段とでは違いがある、という話です。皆さんはこの大きな違いが何か分かりますか。今日自分が教室に上がってくるまでに通った階段を思い起してみてください。昇るからこそ、気づけるものです。それは、階段には踊り場があるということ。踊り場は昇っていく際の休む場所です。

そして、2つ目は、自由とは失敗が許されること。失敗が許されないと、それは自由ではない、というお話です。

なぜ、今日このような話をしたかというと、今週の水曜日2月17日は、四旬節の始まりである「灰の水曜日」になります。そもそも四旬節とは、復活祭(つまり、イースター)前までの約40日間であり、この期間はイエス・キリストの復活をふさわしく迎えられるように、イエス様の受難と死を黙想し、回心に励む復活祭前の準備をする時となっています。そして、その始めの日こそが、先程言った「灰の水曜日」となるわけです。

「灰の水曜日」には、人生や死について考え、回心(神の前で心から悔い改め、神の方に心を向けていくこと)が必要であると思い起します。そして、ミサの中で、額に灰を受けるのですが、これは人間が神によって創られた塵にすぎないことを自覚し、謙虚に生きることを思い起こすために行われます。

「謙虚」、「回心」という言葉や「イエスの受難、死、復活」等と聞くと何だか難しく、もうそれだけで耳に栓をしてしまう人や、何かしら義務感的なものを感じて堅苦しく思う人がいるかもしれません。

ですが、塩野さんのお話から考えてみると、一年に一度、昇り階段を歩むような人生の中で、踊り場で足を止めて、自分を省みてみる。時に、弱い自分や失敗した自分に出会うこと、受け入れがたい自分に気付かされることもあるでしょう。しかし、「放蕩息子」のたとえ話に出てくる弟のように失敗しながらも我に返り、父のもとに戻ったならば、自分の子どもを受け入れた父のように神様は、私たちを愛してくれます。特に、今週水曜日、自分自身を取り繕うことなく、ちょっとでも自分自身と向き合い、お互いに心を神様に向けて、少しでも委ねてみませんか。

以上で、話を終わります。

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