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~校長室の窓から~「 放送朝礼のお話し・6月の月目標(宗教部 大河内先生)」

2020.06.05

 皆さん、久しぶりの放送朝礼ですが、お元気ですか? 新年度はゆっくりのようで飛ぶように過ぎて、もう6月です。教会の暦では先週の日曜日で復活節が終わってしまいました。教会も異例の事態で、皆で集まってミサに参加することができない日々を、もう3か月も過ごしています。YouTubeでライブ配信されるミサにあずかるというのも、初めてのことでしたが、だいぶ慣れてきました。一緒に住んでいる90歳のシスターも、「こんなこと生まれて初めて」とおっしゃりながら、結構楽しんでおられるのを見て、順応性の高さに驚いています。足腰もしっかり、記憶力も誰よりはっきりしておられ、マスクをたくさんミシンで縫ってくださいました。

 さて、6月の月目標は「無償性」です。「ただで受けたのだからただで与えなさい」という聖書の言葉を添えました。私たちがただで受けた最大のたまものは、命そのものと言えるでしょう。生まれる前に、自分の力で勝ち取って命を得てきた、という人は誰もいないと思います。ポスターに書いてある「無償性」を表す英語もスペイン語も語幹がgratで始まっていますね。おそらくgratia、ラテン語の恵みという意味の言葉が語源になっていると思います。神様からの恵みはまさに無償のものです。何の見返りも求めず神様は私たちに命という恵みを与えてくださいました。

では、頂いた「いのち」をただで与えるとはどういうことでしょうか? 英雄的に他の人の命を助けるために自分の命を犠牲に差し出した、という例は皆さんもよく知っているでしょう。今でいえば、自分の命の危険を顧みず、医療に従事していらっしゃる方々が、まさにそうです。でももっと身近なところで、家族や友達との何気ないやり取りの中でも、互いに助け合ったり、思いやったりする言動の中に、私たちはそのような経験をたくさんしているはずです。

私が思い出すのは、忘れもしない小学3年生の時、学校にお弁当を持っていくのを忘れたことがありました。転校してきたばかりで周りの友達にも言えず、シクシクと泣き始めた私に気づいて、「これ食べて」と言ってお弁当を分けてくれた子の名前と顔は今でも覚えています。それを機にクラス中の子がおかずを分けてくれて、みじめだった思いがいっぺんに明るくなり、クラスの友達と一体感を感じるきっかけにもなりました。私にとってその失敗談は、お弁当を忘れてはいけない、という教訓以上に、困っているときに助けてもらうことはなんて嬉しいことだろう、そうすることで人と人との気持ちが一つになることはなんて素敵なことだろう、という記憶として深く心に残っています。

今、私たちは、90年生きてきた方さえ経験したことのない困難の中にいるのですから、欠乏による不安を感じるのは当然です。その事実から目を背けてはいけないけれども、この困難の中にも、きっと私たちを成長させてくれるものがあるはずだという希望も、見失ってはいけません。困難と欠乏を体験することで、私たちは他者の痛みやつらさを想像できるようになり、助け合うことで一致する喜びを知るようになるでしょう。そのように心を耕すことによって、私たちの心のうちに、無償性の種がはぐくまれていきますように、祈りつつ歩んでいきましょう。

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