新着のお知らせ

校長ブログ

~校長室の窓から~ 「始業式」

2024.04.05

  2024年度が始まりました。新しい学年、新しい担任の先生、新しいクラスメート、これからの1年を実りある1年にできるようにしましょう。 

  先ほどマタイの福音書の「神様は求めるものに良いものを与える、だから人にしてもらいたいと思うことはあなた方も人にしなさい」、という内容の個所が読まれました。この「求めるものには与えられる」ということに関してお話ししたいと思います。 

  私は昨夏、北海道の知床に行きました。知床にはいくつかハイキングコースがあります。私は歩くのが好きなので、5つの小さな湖を回るハイキングコースを歩きたいと思っていました。ところが、コースの入り口にあるインフォメーションセンターに着くと、「コース内でクマの目撃情報があったため、コースは閉鎖します」と書かれていました。仕方なく、そばにある短いコースを歩きました。楽しかったけれどもやっぱり物足らなかったので、急いで調べて、別のところにある瀧まで歩くコースへ行こう、ということになりました。ちょうど来たバスに飛び乗って、無事そのコースの入り口までいって、「さぁ、出発」、と思ったところに、後ろからビジターセンターの人が走ってきて「コース内でクマが目撃されたので、今からコースは閉鎖します。」といって、入り口にチェーンをかけてしまいました。なんだかクマにやられっぱなしだなぁ、とがっかりしていたところ、近くに「100平方メートル運動ハウス」、という建物があるのに気が付きました。100平方メートル運動ハウス、ってなんだろう?と思い、ドアを開けて入ってみました。 

 知床、というところは今でこそ厳しく自然を保護していますが、今から100年ほど前は北海道のほかの土地と同じように、開拓民が農地を開拓していて、実際集落などもできていたそうです。ところが、知床は土地がやせていて農地には適していないこと、また政府の方針が変わってしまったことから、開拓民は皆、知床の土地を放棄してよその土地に移ることになってしまいました。それが1960年代です。残されたのは中途半端に開拓された土地です。それを見て、知床がある斜里町の町長が、「このままにしておいたら、知床の土地は安く買いたたかれ、開発業者や不動産業者の手に渡って、リゾート開発が進んで、大切な自然が破壊されてしまう」と考えました。しかし、町にはその放棄された土地を買い戻すお金がありません。そこで、斜里町は自然を守るために「開拓放棄された土地を100平方メートル単位で買ってください、知床で夢を買いませんか」、という広告を新聞や雑誌に出しました。実際は町が放棄された土地を買うためのお金を寄付してください、ということです。すると、北海道内だけでなく、全国から「知床の自然を守ろう」ということで続々と寄付が集まりました。100平方メートル運動ハウスにはそうやって寄付してくれた人たちの何万人分もの名前が壁にびっしりと書かれています。また、寄付を使ってどうやって土地を買い戻していったか、その過程も展示されていました。 

  100平方メートル運動ハウスの入り口には訪問者が一言書けるノートが置かれていましたが、訪れた日の数日前のページで、東京から来た人がこんなことを書いていました。「小さいころ、祖父が『お前の名前で知床に土地を買ったよ』と言っていたのですが、今日、ここの壁に自分の名前を見つけて、『これだったんだな』と思いました。」きっとその人のおじいさんは知床の自然のため、また孫の世代の未来のために応援したい、と思ったのでしょうね。 

   知床の自然を何としても守りたい、という斜里町の町長さんの想いが全国の人に届き、多くの人が「よし、応援しよう」と思って寄付をして、結局斜里町は20年かけて放棄された土地をすべて買い戻し、知床の自然を守ることができました。まさに「求めて与えられた」と言えます。そして、今も送られている寄付は今度はクマや鹿などの野生動物と人間、そして森の共存のために使われているそうです。 

   さて、私が始業式に100平方メートル運動ハウスの話をしたか、というと、これが4月の価値の「愛」にもつながると思ったからです。誰かが困っているときに助けるのは愛の行動です。そして、100平方メートル運動では知床の自然を守るために助けてください、というお願いに全国から本当に多くの人が、壁に名前を書いたらびっしり埋まるくらいの人たちが、そしてお互い縁もゆかりもない人たちが手を差し伸べてくれました。悪いニュースも多い現代ですが、困っているとき、弱っているときに助けてくれる人は必ずいる、というのは大きな「愛」であり、希望です。 

    皆さんも新学年でもしかしたら不安を感じているかもしれません。また、自分は一人だ、と孤独を感じることがあるかもしれません。でも助けてくれる人は身近に結構いるものです。信頼して助けを求めてよいと思いますし、また求められたら気持ちよく「わかった、助けるよ」と言えるような、愛のある人でありたいと思います。そしてみな気持ちよく新しい学年を迎えることができるようにしていきましょう。 

 

TOP新着のお知らせ校長ブログ > ~校長室の窓から~ 「始業式」