皆さん、主のご復活おめでとうございます。
キリスト教の典礼では、昨日は「イースター」でした。
先週の木曜日、私たちはイエスが弟子たちと最後の食事をともにした日を想い起こしました。いわゆる、あの有名な「最後の晩餐」のシーンです。
ここでイエスは、弟子たちの中に裏切者がいる、と宣言します。弟子たちは「まさか」「私は最後まであなたとともにいます」と口々に否定しますが、その後、イエスが逮捕され裁きにかけられると、弟子たちはとたんにイエスのことを「知らない」としらばっくれます。
翌日の金曜日、私たちは、いよいよ死刑を宣告されたイエスが十字架に架けられ、息を引き取る場面を想い起こしました。
そして日曜日、イエスは復活し、再び人々の前に現れた…というなんともドラマチックなエピソードをお祝いしたのが、昨日のイースターです。
信者の人でない限り、一度死んだイエスが復活するなんて話を簡単に信じることはできないでしょう。
ただ、私は、復活したのはイエスだけではないと思うのです。
あのとき、自分の身を守るために全力でイエスを裏切った弟子たちも、この瞬間に復活を遂げたのではないかと。
なぜなら、弟子たちはその後、どんな迫害や攻撃にも屈せずに、神様の愛を伝えるためその人生をまっとうしたからです。イエスのことを「知らない」としらばっくれた人物像とは180度ちがいます。
このような、何かをきっかけに自分の人生が大きく前向きに変わることを、私たちは「奇跡」とよんでいます。
さて、くしくも日本に住む私たちは、このイースターがちょうど年度末や年度初めにあたります。学年が変わったり、中1の方は小学校を卒業して中学生になったり、少なからず自分の人生が一歩先に進む時期ですね。
私たちが毎年この復活節(イースター)を祝うときというのは、弟子たちのような前向きな変化が自分の中にも起きていないか、思いめぐらすとても良い機会です。
みなさんは、3月までの自分をふり返ってみて、どうですか?
4月からの新しい1年を迎え、何かそれまでの自分から前向きに変わった部分はあるでしょうか。
あるとしたら、あなたにも復活の奇跡が訪れたのだと思います。
かくいう私は最近、改めて「清泉」という学校名のもとになった聖書箇所(ヨハネ4:14)を読んだり、創立者の聖ラファエラ・マリア様が残した言葉をもう一度味わったりする機会を得ました。
そしてまた一つ、私にとっての「清泉女学院」という学校の印象が新たになったような気がします。
皆さんもぜひ、自分の変化を大切にして、新たな1年を過ごしてください。そんな皆さんに、神様の豊かな祝福がありますように、心からお祈りしています。