突然ですが、みなさんの肌や髪、潤っていますか? そして、先日合唱祭だった高校生のみなさん、喉、潤っていますか?
最近は、スキンケアやヘアケアにおいて、そして健康を保つ上でも、「うるおい」がとても大切だと言われます。乾燥はよくない。できるだけ潤っている状態がいい。そういう考え方は、私たちにとって当たり前になっています。
では、人の心はどうでしょうか。満たされていない状態、つまり「渇き」は、やはりできるだけ避けたほうがいいのでしょうか。
小さい頃に聞いたことのある歌を思い出してください。顔がパンでできたヒーロー。そう、アンパンマンです。主題歌、歌えますか?

「なんのために生まれて
なにをして生きるのか
こたえられないなんて
そんなのはいやだ!」

この歌詞の中には、満たされていない心の状態、つまり、「渇き」があるように思います。なんのために生まれて、何をして生きるのか。今はまだ答えは見つかっていない。でも、その答えを探し続けたい。そんな満たされない思いです。
「渇き」というのは、生きる意味のような、壮大な話だけではありません。誰かに認めてもらいたいのに、認めてもらえない。わかってほしいのに、わかってもらえない。そういう、毎日の生活の中にある、満たされない思いです。
こうした「渇き」は、今この話を聞いているあなただけのものではありません。隣にいる友達も、そして私たち教員も、大なり小なり同じようなものを抱えています。
私たちは、同じような「渇き」を抱えているのに、どこかでひとりぼっちだと感じることがあります。完全にわかり合うことは、なかなかできないからです。でも、その「ひとりぼっち」の感覚から、目をそらさずに少しだけ見つめてみると、その奥に、「満たされたい」「理解されたい」「認められたい」と願っている自分がいることに気づきます。そして、自分の中にそういう思いがあることに気づくことができると、同じような思いを、周りの人も抱えているかもしれない、と、ほんの少し想像できるようになるはずです。
アンパンマンは、お腹をすかせた人に、自分の顔を分け与えます。ただ、目の前の人のために。もちろん、私たちはアンパンマンのようにはなれません。でもそんな私たちも、ときどき、ほんの少し自分を差し出すことがあります。それは、相手の中にも、自分と同じような「渇き」があることに気づくからかもしれません。
そのほんの一瞬、私たちは「見返りに縛られていない」状態になります。今月の月目標にある「無償性」とは、何にも見返りを求めない完璧な状態を保つことではなく、こういう、自分を少し差し出してしまう瞬間、その中に立ち現れるものなのだと思います。
私たちの中にある「渇き」や、満たされなさ、ひとりぼっちの感覚は、ただ消すべきものではなく、誰かを求め、誰かのために動こうとする力へとつながっていくものなのかもしれません。

「なんのために生まれて
なにをして生きるのか」

その答えは、すぐには言葉にできません。でも、誰かのために、ほんの少し自分を差し出したとき、私たちはその答えに、少し近づいています。
私たちの心にある「渇き」こそが、見返りに縛られない無償性に近づく、そのきっかけになるはずです。そして、「渇き」から逃げなかった人だけが、本当に人を大切にすることができるのだと思います。私たちの「渇き」は、やがて、ともに生きる喜びへと変わっていくのかもしれません。