みなさんは「民藝運動」という言葉をご存知でしょうか。
「民衆の生活の中にある職人達の手によって作られた工芸」、民衆的工芸を略して「民藝」と呼び、それらが人々に使われることによって生まれる「美」を見出し、日本の文化的価値を見直そうとした運動です。
いわゆる美術品や、観賞のための工芸品にはない、使われることを前提にした健康的な美がそこに見出されました。

私がこの民藝に興味を持ったきっかけは、沖縄に行った際に目にした紅型(びんがた)でした。
紅型は沖縄の染物で、鮮明な色彩、大胆な配色、そして図柄の素朴さが特徴的です。
今、学校の階段に6月23日沖縄慰霊の日という貼り紙がされていますが、そこにプリントされている柄が紅型の柄です。

近隣諸国との交易が盛んに行われた15世紀前後に、諸外国との取引でもたらされた染織技術が取り入れられ、王族や士族の衣装として首里を中心に発達し、やがて庶民のもとなり、発展していきます。
染料には顔料と植物染料の両方が使われています。
植物染料は、強い日差しや高温に弱く、一方、顔料は日差しや高温に強い性質があり、まさに気候風土に影響を受けて編み出された技法が用いられています。

紅型の美しさについては、「民藝運動の父」と呼ばれる柳宗悦さんも
「顔料と染料をたくみに合わせ用いた技法、それが世にも美しい色彩を生み出した。その模様の自由さ、それは自然の鳥をさらに鳥らしく、花をさらに花らしくした。紅型の模様を見ると、私たちは逆に自然の美しさを教わるのです」
と讃えています。

19世紀後期になり、琉球処分によって王制が解体されると、庇護を失った紅型は衰退していきます。
さらに第二次世界大戦が追い討ちをかけました。
焦土と化した沖縄で、型紙や見本が何千枚と失われてしまったのです。
物資不足の中から、工夫による代用品で型紙を彫ることから始まり、後継者の教育を行い、少しずつ復興を進め、やっとの思いで今日まで繋いできた、そんな民藝品なのです。

沖縄にはこの紅型の他にも、芭蕉布や、やちむん、琉球ガラスなど、沖縄ならではの生活が生んだ力強い美しさを持つ民藝品が数多くあります。
このような沖縄の民藝品には、その特有の風土の中で営まれてきた人々の生活や知恵、そして戦争の悲劇を乗り越えてきた人々の歴史と文化が、その一つひとつに深く刻まれています。

また、今日、先生方が着ている「かりゆし」は、沖縄の伝統染織物や文化、自然などをモチーフにしたデザインが特徴で、夏の正装として定着しています。
「かりゆし」という言葉には、「縁起が良い」 「めでたい」という意味が込められており、平和への願いや幸福への祈りが込められたようにも思います。

沖縄の人々が大切にしてきたものを、同じ様に私たちも大切にすることは、沖縄の人々とのつながりを持つことだと思います。
沖縄の人々が紡いできた暮らしの営みを尊重し、その過去を大切にすることに他なりません。
そして、その過去には、戦争という悲劇も含まれています。
文化を通じて沖縄の人々の歴史と心に深く触れることは、結果として、戦争で失われた尊い命への慰霊にも繋がると信じています。