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校長ブログ

~校長室の窓から~「放送朝礼のお話(社会科 望月先生)」

2022.10.14

おはようございます。

今日は、今月の月目標「和解と平和」についてお話します。 

 最近のニュースを見ていると、ロシアのウクライナ侵攻をはじめ、世界のあちこちで紛争、 内紛が絶えず、人権弾圧の社会問題など、平和の難しさ、もろさを私たちは目の当たりに しています。 ミサに預かる時、私たちは平和の挨拶をかわしますね。神父様が「主の平和はいつも皆 さんとともに」「また司祭とともに」「互いに平和のあいさつをかわしましょう」という言葉が あって、皆で「主の平和」と挨拶をかわします。「平和」は、ヘブライ語でシャローム。古代 から争いの絶えなかった中東では、「平和」を意味する言葉が挨拶として使われてきまし た。ミサの中での「平和の挨拶」も、そうした慣習からきていると考えられます。そしてミサ では、紛争だけではなく、広い意味での心の平和をお互いに祈りあうものであると思いま す。 私たちが良く唱える、アッシジのフランシスコの祈りともいわれる「平和の祈り」では、「慰 められるより慰めることを 理解されることよりも理解することを、愛されることよりも愛す ることを私が望みますように」と、唱えます。普通慰めてもらいたい、理解してもらいたい、 愛してもらいたい、と望みがちな私たちですが、「何々してもらう」という受け身ではなく、 何と積極的で、能動的な祈りだろうと、私は思っています。 「和解」という言葉は、辞書で引いてみたのですが、「争いをやめ、仲直りをすること。法律 的には、民事上の紛争で、当事者が互いに譲歩しあってその争いをやめること」とありま した。和解には、ゆずり合うこと、双方向からの歩み寄りがカギになってくるのを感じます。 先ほどの、「平和の祈り」にもつながります。 ところで、聖書では「和解」は、「神と人間の和解」としてあらわされます。『コリントの信徒 への手紙』の中に、「神はキリストを通してわたしたちを神と和解させ、また和解のために 奉仕する任務をわたしたちにお授けになりました」とあります。キリストを通して私たちは、 神とつながり、私たちが神の奉仕者になることが求められるのです。神の国の実現のた めに平和の道具となること。「私をあなたの平和のために用いてください」というお祈りの 言葉にあらわされています。 今年 8 月 30 日に旧ソ連の最高指導者であったミハイル・ゴルバチョフが亡くなりました。 アメリカとの核軍縮に合意し、東西冷戦を終結に導いたとして 1990 年ノーベル平和賞を 受賞したゴルバチョフは、翌年の授賞式で、「私たちに必要なものは、『類似性の調和』で はなく、『多様性の調和』である」と述べました。似通ったもの同士の調和ではなく、多様性 の調和、「平和」について考える上で、キーワードであるように思います。 今月、私たちは、まず日々の生活の身近なところから、そして世界に視野をひろろげ、共に 考え進んでいきましょう。

 

 

 

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