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校長ブログ

~校長室の窓から~「放送朝礼のお話(社会科 野村先生)」

2022.06.22

私は以前、沖縄に9年間住んでいました。アメリカ軍の飛行機やオスプレイが飛び、アメリカ軍の車両が一般の道路を走るというのはごく当たり前の光景でした。その沖縄にとって、3日後の、6月23日は特別な日です。「沖縄慰霊の日」といって、沖縄での戦争が終わったとされる日です。

戦争中、最後の沖縄県知事を務めたのが、島田叡という人でした。当時の知事は、県民が選挙で選ぶのではなく、東京の政府が指名した役人が各都道府県に派遣される仕組みでした。1945年1月、島田叡は、アメリカ軍の沖縄上陸が迫る戦況の中、それを承知で沖縄県知事として赴任しました。ちなみに前任者は、沖縄への激しい空襲があった後、出張という名目で県外に出て、そのまま沖縄には戻ってきませんでした。沖縄出身ではない島田叡でしたが、県民から尊敬される知事でした。

彼が県民に呼びかけたのは「生きろ」ということでした。当たり前の言葉に聞こえますが、沖縄戦の教訓として「軍隊は住民を守らなかった」と語りつがれています。日本軍はアメリカ軍から住民を守ってくれる存在ではなく、日本軍のために安全な場所を奪われたり、スパイ扱いされた人がいたりしたのです。県民の生活よりも日本軍の活動が優先されるような状況下で、あくまでも沖縄県民を一番大切に考えました。「一人でも多くの住民を救う」という思いを終戦まで貫きました。島田叡本人は、戦争を生き延びることができず、沖縄で亡くなりました。

今年の5月15日、沖縄県が日本に返還されてから50周年を迎えました。戦後も続いた1972年5月15日までの占領統治下で、基地のために土地が取られ、日本の高度経済成長からは取り残されました。今でも沖縄の県民所得の平均は全国値の7割ほどです。日本にあるアメリカ軍基地の70%以上が沖縄に集中したままです。戦時中は本土防衛のための時間稼ぎに使われ、戦後は国の安全保障のために大きな負担を背負わされています。

清泉の皆さんの多くは、沖縄と縁のない生活を送っていると思っているでしょうか。しかし実は、今に至る歴史、そして現在の防衛・外交を考えたとき、沖縄と一切の関係なく日本で生活をしている人はいないのではないでしょうか。

沖縄出身ではないけれども、沖縄県民のために命をかけて職務にあたった島田叡。彼の人生を知ること、県外に住む私たちにとってその意味は大きいと思います。沖縄慰霊の日を前に、沖縄に関心を持ち、沖縄の声に耳を傾ける。そういう人が少しでもいてくれたら嬉しいです。

 

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