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~校長室の窓から~「放送朝礼のお話(倫理科 大河内先生)」

2022.02.14

 寒い日が続く中、北京では熱い戦いが繰り広げられていますね。先週はスノーボードの平野歩夢さんの活躍が大きく取り上げられました。ハーフパイプの、あのスピード感と空に吸い込まれるように高く飛び上がり何回転もするという神業を見ると、何とも言えない爽快感と着地までのハラハラ感で思わず引き込まれてしまいます。平野さんの金メダルまでの歩みには、その天才的な素質や、生まれながらの環境に恵まれていたことがあるでしょうが、それにしても、あきらめることなく努力をし続けてきたことが結果につながったのは間違いないでしょう。さらに深く考えてみると、その努力の源は、オリンピックで優勝したいという夢と、周囲の方たちからの期待に応えたいという責任感に支えられていたのかなと思いました。今月の月目標の「責任」について考えていた中で、そんなことを思いました。

 今月のポスターについては、明日、作成者がお話ししてくださるので、今日は責任に関するラファエラ・マリアのもう一つの言葉を紹介します。「神がわたしに問われるのは、与えられたタレントをもって神のみ旨をよく果たしたかどうか、その責任だけです。」

…という言葉なのですが、オリンピックの金メダリストになるほどの飛びぬけた活躍でなくとも、頂いたタレントを活かして、他の人のために生きるというポジティブな面で、命を大切にしていくという責任を果たしていくことをまずは私たちも肝に銘じたいものです。

 けれども、私が今日あえて言いたいことは、自分の中にあるネガティブな面もまた、それを抱えながら私たちは生き続けていく責任があるということです。自分の弱点や欠点は、できることなら直していきたいものですが、人間、最期を迎える時まで、なかなかそうはいかないというのが、実感です。寿命を迎えて旅立っていった方たちを私は近親者でも修道会の先輩方でも、何人も見送ってきましたが、むしろ、弱点や欠点を含めたその人丸ごとの姿をその人らしさとして、思い出に残しています。

 かく言う私も、つい先日、親しい友人とケンカをしてしまいました。その際に、いろいろ、あえてここでは公表しませんが、自分の悪い点を指摘されました。自分でもわかっていたことですが、それから意識するようになり、なるべく直そうとしています。でもやっぱり心のどこかでは、それが私だ、という開き直りのような気持があるのも事実です。死ぬまでどこかに残っているだろうと思います。

 私の開き直りを真似されては困るのですが、自分のネガティブな面を知っても、落ち込んだり、人の所為にして言い訳をしたりしないで、自分とはそういうものだ、とまずは受け入れてみましょう。失敗や間違い、弱さがあっても、それを含めて愛おしんでくださる方が周りにいることを思い出してみましょう。誰より神様がそのように慈しんでくださっています。その思いに至って初めて、自分のしたことを悔いて、もし誰かを傷つけたなら、謝らなければなりません。仲直りをする謙虚な気持ちや、前に進む勇気をそこで手に入れられたなら、そこからまた新しい私が形作られていきます。

 自分の弱点や欠点は変わらない、とさっきは言いましたが、それをどう対処するか、ということは人生の中で日々学んでいき、変えていくことができます。同じ失敗を繰り返すかもしれません。それでも果敢に自分と向き合っていく、そういう責任感をもっていくことも、頂いた命を大切にしていくことになると思います。

私が私であるために、今日も私を生き切ることができますように、祈って前に進んでいきましょう。

 

 

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