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校長ブログ

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2021.05.31

~校長室の窓から~「 放送朝礼のお話し(国語科 鈴木美衣先生)」

おはようございます。

5月が終わり、明日から6月ですね。日本の歳時記、旧暦では、6月1日は更衣=ころもがえです。学校も来週から盛夏服の季節ですね。

 さて、教会では5月の聖母月に続き、6月は「イエス・キリストの私たちへの愛を深く感謝し、この愛に信頼し、感謝する月」となっています。「キリストの私たちへの愛」とは、「無償の愛」のことです。学校では「10の価値」の「無償の愛」を6月の月目標にしています。英語に訳すときは、無償はFree=無料・ただ ではなく、

unconditional love,

つまり見返りを求めない、「無条件の愛」と訳されます。

ヨーロッパでは「6月の花嫁」=June Bride(ジューンブライド)として、忙しい麦の収穫の終わったさわやかな6月の花嫁を特に喜ばしいこと、幸せになれるものとして、愛でてきたのも、諸説ありますが、そのことに関係しているのかもしれません。

 今日は、生徒指導部長としてのマナーの話ではなく、「無償の愛」について、少し私の体験を話させていただきます。

 さて、私は3年前の夏休みに、フルムーン旅行と称して、夫と二人で初めてイタリアへ行きました。なぜイタリアだったかというと、レオナルド・ダ・ヴィンチの描いた「最後の晩餐」の絵を、死ぬまでに一度でいいから見たかった、というのと、創立者のラファエラ・マリア様に、ご絵やご像ではなく、実際にお会いしたかったからです。

 幸運なことに「最後の晩餐」は、着いた初日に見ることができました。そこには、沈黙のうちにも穏やかで厳かな時間が流れていました。「最後の晩餐」は絵画として描かれたのではなく、修道院の食堂の壁画として描かれ、歴史的にミサの原型を伝えているだけでなく、日々の生活の中で、修道士たちに、日常の糧として、キリストの愛を与えつづけるものでした。まさにそのテーブルに、ご一緒に父である神が座って、パンを取って分けてくださっているかのような、バーチャルな感覚を与えたのではないかと思われました。

 さて、創立者のラファエラ・マリア様には、ツアーの最終日、ローマでの自由行動の日にお会いすることが、かないました。ローマの「第10教会」に眠っていらっしゃいました。イタリアはカトリックの国ですから、鎌倉にたくさんのお寺があるように、普通に町中に100メートル単位でカトリック教会が点在しています。訪れたその時は、ちょうどミサのまっ最中でした。ミサが終わったら、どなたかシスターにお声がけすれば、会わせていただけるかな、と思いながらそうっと「遅刻してごめんなさい」の体でおそるおそる長椅子の端の方に座ってミサが終わるのを待っていた時です。ほんの数秒後、ふっと右を見たら、そこに眠っていらっしゃるではありませんか。ここにいますよ、待っていましたよ、と。ガラスの大きな部屋がしつらえてあり、そこにそのガラスの部屋の中に、ガラスの棺とラファエラ・マリア様が横になっていらっしゃったんです。

当時、亡くなった方の亡骸に蝋を施すということが、特別にあったようで、ラファエラ・マリア様もお顔や修道服から出ている組み合わされた手に、蝋が施されているのでした。その蝋の下に透けるバラ色の頬、長いまつげ・お美しい童女のようなお顔は、まさに奇跡そのものでした。そのあと、シスターに招き入れられ、ラファエラ・マリア様が晩年過ごしたお部屋に入ることを許していただきました。

 二階にあったそのお部屋は、今でも主(あるじ)が普通に暮らしているのと何ら変わりない、清潔に整えられたベッド、机があり、毎日シスター達が空気を入れ替えていらっしゃるということがわかるような、100年前と変わらない時間が流れる、生きたお部屋となっていました。道路に面した窓からは、イチジクの木と路上駐車の車が見えます。そのお部屋の反対側の小窓を覗いた時でした。思わず「あっ」と声をあげてしまいました。先ほどのミサの時に座っていた椅子から見た、祭壇の天井からつるされた十字架が、今目の前に大きくあり、ラファエラ・マリア様は毎日このまばゆい金の十字架を眺めていらしたのだ、その光に射貫かれていらしたのだとわかりました。

キリストの生き方とラファエラ・マリア様の生き方が一直線に結ばれていることの不思議。10代のころの私は、いつも自信がなく、孤独に陥りやすい生徒でしたが、祈ることを教えてくださったたくさんのシスター達の姿が身近にはあり、何度励まされたことでしょうか。そのシスター達の母である、聖ラファエラ・マリアの内側に入って、私もまた「この世のすべてのものとつながっていて、そして涙が出るほどありがたいものに包まれているのだ」そう直感した体験でした。涙が止まりませんでした。

 神の恵みは、自分が努力したから、とかしなかったからとか、その努力いかんによっていただけたり、いただけなかったりするものではなく、光、希望、喜び、癒しといった良いものはすべて、神から一方的に与えられてくるものではないか、ラファエラ・マリア様はそのことをよくご存じだったのではないか。だからこそ、目立つ、目立たないにかかわらず、尽きることのないあふれる神の愛に応え、「しなびた心ではなく、はち切れそうな心、利己心の影すらもない神の愛で満たされた心を差し上げましょう」とおっしゃったのだと思います。

 明日から貼られるポスターは、高3Nの加藤梓さんが描いてくださった素敵なポスターです。ぜひご一緒に眺めながら、その聖ラファエラ・マリアの言葉に倣い、「イエス様イエス様、今日もありがとうございます」と一日一回、心の中を感謝でいっぱいにして、唱えてみませんか。そして、すぐそばのだれかに「ありがとう」といつも言うことも忘れずに。

                                                        

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