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~校長室の窓から~「 放送朝礼のお話し(図書館司書 新美先生)」

2020.11.04

今日は二つの事をお話しします。

一つ目は、11月の学校目標「喜び・希望」についてです。

今月のポスターを書いて下さったのは高2の方です。旧約聖書のイザヤ書より「主なる神は言われる。「私の目にあなたは、値(あたい)高く、貴い。わたしはあなたを愛する」という言葉を選んで下さいました。

また、描かれている清泉生は青色の花の髪飾りをつけています。この花はサイネリア、という名前で、「喜び・希望」という花言葉であることから、書き入れて下さったと聞いています。素敵なポスターをありがとうございました。

さて、今月の学校目標「喜び・希望」という言葉について、少しお話します。

私が中3ぐらいだったでしょうか、母とけんかをしていた時のことです。詳しい経緯は忘れましたが、売り言葉に買い言葉を続けて行き詰った私は、いうに事欠いて、母に「好きで生まれたんじゃない」と、言い放ってしまいました。その時、一言、母がなんと言ったか。「私だってそうよ」。

たしかに……。私は全く言い返せず、けんかはそこで終わってしまいました。が、母も好きで生まれてきたわけでなく、それは、つまり、この世の誰もが「好きで生まれてきたんじゃない」という普遍的な事実であるということに私は気づくこととなり、それから、この言葉がずっとひっかかっていました。

そうしたところ、この「好きで生まれてきたんじゃない」、ということについて、晴佐久昌英という神父様が、『星言葉』(女子パウロ会 1997)というエッセイ集に書かれているのに出会いました。「誰一人、自ら望んで生まれてきた人はいない。しかし、だれ一人望まれずに生まれてきた人もいないのである。この星にうまれたすべての仲間が、そのような『望まれた』という出発点をもっていることを心から喜び合いたいし、すべての仲間がそのことに気づくように祈ってやまない。自分の誕生には自分に一切責任がない。(略)ぼくは、この事実に限りなく安らぎを感ずる。」(「生まれる」p21より)

「自分の誕生に一切責任がないという安らぎ」。今、私は、これが「喜び・希望」という状態なのだと思っています。それは、また、言い換えれば、ポスターに書かれた聖書の箇所、そして今日、歌った聖歌にあるように、神に愛され神とともに生きているという私たちの状態とも言えるでしょう。

神は、このメッセージをさまざまな形を通して私たちに送ってくださっています。この一か月、私たちがこの喜びを意識して過ごしていけたらいいですね。

2点目は、宗研主催の「死者のミサ」についてです。

カトリックの暦では、11月は死者の月と位置付けられ、亡くなられたすべての方々のために祈る習慣があります。宗研でも、毎年、死者の月のミサを捧げており、今年は8日の水曜日に行われます。このミサは、宗研にエントリーしてない生徒のみなさんもご参加いただけます。

亡くなられた方のために祈りたいかたは、どうぞいらしてください。朝礼に出なくても欠席にはなりません。今年は講堂で行われます。8時までに聖歌集を持っていらして下さい。

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