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校長ブログ

~校長室の窓から~「 放送朝礼のお話し(社会科 望月先生)」

2020.09.10

 おはようございます。宗教部の望月です。今日は、本日から 3 回行われる月ミサのお知らせをかね、少しお話させていただきます。 3 月末に教皇フランシスコがローマのサンピエトロ大聖堂前で、マルコ福音書の 4 章を引用 されて話をされました。その福音書はこういう場面です。ある夕方イエスが、向こう岸にわた るため、弟子たちと船に乗るのですが、激しい突風が起こり、船は波をかぶり水浸しになって いきます。弟子たちが恐怖と不安におびえる中、その時イエスはどうしていたかというと、船 の艫 とも 、つまり船尾で眠っておられた」のです。ちなみに福音書の中でイエスが眠られているの はこの箇所だけだそうです。弟子たちはイエスを起こし「先生、わたしたちがおぼれても構わ ないのですか?」と言います。するとイエスは起き上がって、風と海をしずめたあと、弟子たち にこう言います。「なぜ怖がるのか。まだ信じないのか」と。弟子たちは「いったいこの方はど なたなのだろう」と言い合った、と結ばれています。 教皇様は、コロナ禍の自分たちをこの船の上にいる弟子たちに重ねられています。弟子たち の姿を通してこの箇所が私たちに伝えているのは、神への信頼ということ。嵐の中でもイエス が御父を信頼して眠っていたように、信じること、と説かれています。 でも私たちには弱さがあります。色々わからないことばかりです。弟子たちのように不安が つきまといます。これはコロナ禍のことだけではなくても、自分の周りに起こる色々な状況に おいても同じだと思います。 教皇様は、「信仰の第一歩は、救いを必要としていることの自覚です」といわれます。そして、 こう続けられます。「私たちは自分の必要とすることをすべて自分で賄えるわけではありません。 星を頼りにした古代の船乗りのように私たちには主が必要です。私たちの船にイエスを招き入 れましょう。恐れをイエスにゆだねましょう。イエスが一緒に乗っておられれば、その船は決 して沈まないことを、そして嵐の中でも私たちに安らぎをもたらしてくださることを、私たち も弟子のように体験するでしょう」と。 ミサは、そのイエスと、共に食卓をかこみ、出会える場です。本日と 10 1 日、1 21 日の 木曜日に、コロナ禍で 3 密を避けるため新しい形になりますが、16 時からの 30 分、ミサに共に あずかりませんか? 図書館棟聖堂にぜひいらしてください。

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