新着のお知らせ

校長ブログ

~校長室の窓から~「 放送朝礼のお話(国語科 瀧先生)」

2020.02.17

私たちには、いうまでもなく、起きて活動している時間と、寝ている時間とがありますが、どちらも大切なことは、みなさんよく知っていますね。起きて活動している時間がもっとほしい、と思って睡眠を削り続けると、大変なことになります。なぜなら、眠って休んでいる時間に、みなさんの体は、自分の体のメンテナンスをしているし、脳は昼間の体験の記憶を整理して定着させたり、というように、大切な仕事をしているからです。とくに、みなさんのような成長期には、成長ホルモンが盛んに分泌されるのも、眠っているときです。ということは、お休みの時間というのは、じつはお休みの時間ではなく、みなさんの体や脳が、実に偉大なことを活発に成し遂げている時間だともいえます。ですから、睡眠を削ったり、質の良い睡眠がとれなくなったりすると、身体のこうした大切な働きが阻害されてしまい、感染症にもかかりやすくなるわけです。寝る前にテレビやパソコン・スマホなどを見続けていると、質のよい睡眠がとりにくくなると言われています。気を付けましょうね。

 ところで、私たちが目覚めていて、活動しているときには、さまざまな考え・思いが、頭の中をいっぱいにしています。私たちの頭は、ほうっておけば、常に何かを考え、何かを思うようにできています。それは、目覚めているときは、私たちは何らかの行いを選んでそれを行う必要があるからです。おやつをもう一つ食べようかな、いややめとこうかな、もう一時間勉強しようかな、やめようかな、と、いうようにです。このとき、一つの行いを選んだその瞬間は、その他の行いを実行に移す可能性はなくなります。つまり、私たちは常に何かを選び、その他の可能性を捨てながら、活動している、とも言えます。私たちの活動は、何かを捨てる勇気に支えられている、とも言えます。私たちの活動は、無数の捨てられたもの上に成り立っている、とも言えます。そういう意味で、捨てる勇気というものは、私たちにとって大切なものです。

 しかし、全知全能の神様は、こうおっしゃるかもしれません。「きみたち、そんなに何かを捨てなければ生きられないの?不自由だねえ」って。でも実は、私たち人間も、その活動の中で、何も捨てなくてよい瞬間をもつことができます。それは、意識して、頭の中のさまざまな思いを追い出してからっぽにした瞬間、つまり、うまく心を静寂に保つことができた瞬間です。

 何も書かれていない、真っ白な紙があるとします。そこに、大きな山の絵を、紙面いっぱいに描いたとしたら、山以外のものが描かれる可能性はなくなります。しかし、何かが描かれる前の、真っ白な紙には、なんでも描ける可能性、つまり、無限の可能性があるわけです。

 私たちの学校では、一日の活動を始める前に、朝のお祈りの時間、心の静寂を保つ時間を持ちます。その時間がどれほど大切か、ということが、こういうことからもわかってもらえるのではと思いますが、如何でしょうか。また、お祈りをし、聖歌を歌い、「アーメン」で結ぶ、この一連の時間の中で、もっとも神様に近づくことができる瞬間はいつだと思いますか?それは、心を込めてお祈りを唱え、「アーメン」と唱えた終えたあとの、沈黙の瞬間だと、私は確信しています。そのときの心の沈黙が深ければ深いほど、私たちは神様の、無制限の愛の中にあることを、感じやすくなるでしょう。

 授業などの始めに、先生によっては、心の静寂を保つ時間をとってくださる場合があるでしょう。そうした時間や、ミサに預かった後、「しばらく沈黙の時間をもちましょう」などとアナウンスが入ることがありますね。これらの時間・瞬間も、いうまでもなくかけがえのない時間です。一生懸命活動していく、その活動と活動との間に置かれた、こうした沈黙の時間・瞬間にこそ、みなさんの、人間としての成長にとって、限りない可能性が与えられるのだ、ということを心に留めてほしいと思います。

TOP新着のお知らせ校長ブログ > ~校長室の窓から~「 放送朝礼のお話(国語科 瀧先生)」