~校長室の窓から~「 放送朝礼のお話(倫理科 吉岡先生)」
2019.04.15
みなさん、おはようございます。
新しい年度となりました。今、皆さんは不安な気持ちもありながらも、きっと期待に胸膨らませて過ごしていらっしゃることと思います。
さて、ここで一つお知らせです。
皆さんのクラスに掲示してある学校目標「清泉が大切にしたい10の価値」を、月ごとに1つずつ目標として掲げ、意識していくためにポスターを掲示しておりますが、昨年度よりそのポスター作製をしてくださる方を、生徒の皆さんに呼びかけさせていただきました。
今年度も引き続き、作製してくださるという方がいれば、ぜひお願いしたく思います。なお、今年度はポスターに込めた思いなど、作成者自身でお話をしたいというのも大歓迎です。
もちろん、ポスターだけでも構いませんので、ぜひぜひ宜しくお願いします。
ポスターを作製してくださる方は、望月先生か倫理科教員の誰でもかいませんので声をかけてください。
朝のあわただしい時間帯ではありますが、少しだけお話をさせていただきたいと思います。
想像しながらお話を聞いてくださいね。
あるカトリックの女子校に通う生徒と公立の学校に通う生徒の会話です。
「うちの学校に倫理科っていうのがあるの。」
「へえ~。そんなのがあるんだ」
「そうなの。それでね。教員が3人いて。一人はシスターで、二人が男性なの。」
「へぇ~。」
「しかも、坊主頭で、ひげを生やしているの」
「坊主とかうける。仏教じゃん。」
「で、もう一人の男性の先生は?」
「えっ。二人とも坊主で、髭だよ。」
「やばくな~い」
さて、ここまで聞いて、皆さんはどのように感じたでしょうか?
倫理科の教員が二人とも坊主頭の先生がいる学校ってあるのですかね。
なぜ、このようなお話をしたかというと、教会の暦では、今週末、つまり4月20日(土)の夜に教会では復活徹夜祭として、イエス様の復活をお祝いします。
その復活徹夜祭の中で、神父様が大きなロウソクを掲げ「キリストの光」という言葉を唱えます。
私はこの「キリストの光」という言葉を聞くと、すぐにある聖書個所が頭に浮かびます。
それは、マタイによる福音書の5章13節「地の塩、世の光」です。
聖書には、次のようにあります。
「あなたがたは地の塩である。…あなたがたは世の光である。…あなたがたの光を人々の前に輝かしなさい」と。
よく言われることですが、ここでイエス様は、私たちに「地の塩になれ。世の光になれ」とは言っていません。むしろ、私たちは「もともと生まれた時から、地の塩、世の光なのだ」と語りかけています。
お知らせの後にお話したことは、特に私たち自身、個性を強調しすぎるあまり、自分らしさをどこか持たなければ、もしくは周りと比べて、自分らしさを作ろうとしていまいがちになってしまったり、他者を意識してしまいがちになってしまいます。ですが、もうすでに存在しているだけで「あなたはあなたなんだ」ということです。
同じ髪型、同じ服装。たとえ、同じようなことをしたって、それでも輝き、にじみ出てくるものが個性であり、あなたらしさなのだと思います。
坊主頭で、髭の小野先生や私のように。同じであっても違うということです。
また、復活徹夜祭の話をしましたが、イエス様の復活は希望を表しています。
この新年度が始まり、復活祭の時期に、希望を胸に、私たち自身が「キリストの光」となり、よりよく社会の中で輝けるように、それぞれの場で、自分の光を見つめ、磨いていくことを改めて考えられたらと思います。
以上でお話を終わります。