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~校長室の窓から~「 放送朝礼のお話(倫理科 吉岡先生)」

2019.02.25

 みなさん、おはようございます。気が付けば、もう3月も目の前となりました。
 この時期は、年度最後の定期試験ということあり、気持ち的に少し重くなっている人もいるかもしれませんね。では、定期テストを前に、ここで問題です。
 私の頭頂部の髪の長さは何ミリでしょうか?よく思い出して、考えてみてください。
 以前、とある大学の入試問題で、仏像の高さに関するものがありましたが、それに比べたら楽勝ですね。皆さんが、大学入試を受ける時、どんな問題が来たって、これで面食らうようなことはないでしょう。
 それでは、答えはというと2ミリです。正解した人、すごいですね。ちなみに、サイドは0.5ミリ。そのため、私の髪型は、ツーブロックということになります。街中でおしゃれな人がしている髪型と同じジャンルです。
 さて、教会の暦では間もなく四旬節となります。今日は、この「四旬節」についてお話をしたいと思います。
 四旬節は、「灰の水曜日」(この日は毎年変わるので、今年は3月6日)から始まり復活祭前までの約40日間のことです。この期間はイエス・キリストの復活をふさわしく迎えられるように、イエス様の受難と死を黙想し、回心に励む復活祭前の準備をする時となっています。
 そこで疑問なのですが、なぜ40日もの長い期間があるのでしょうか。 
 聖書には神様が定めた特別な期間に40日というのが出てきます。しかし、多くの生徒にとり、信者でもない方にとっては四旬節、またこの期間の40日を意識することはきっと少ないことでしょう。
 この意味を理解するヒントを、ある先生が私にくださいました。それは大事な時だからこそ長い時間が必要なのではないか、ということです。
 よくよく自分の人生を振り返って考えてみると、たしかに大事なことを成(な)すときには、何事も時間がかかっていたな、と改めて気づかされました。
 ですが、この期間はただ単に大事なことについて物思いにふけっていればいいのでしょうか。この時期の大切なポイントは、イエス様が苦しみを受け十字架にかけられながらも復活に至ることを、私たちが考え、その思いに心を向けることではないかと思います。
 これもまた、きっと多くの皆さんにとっては何やら難しい話だなと思うでしょう。
 そこで、皆さん。殉教という言葉をご存知でしょうか?殉教とは、自らの生命をもって信仰を証しする行為のことです。この言葉だけを聞くと何か悲しく、辛いものに感じ、現代に生きる私たちにとって宗教のために命を懸けるなんて、と思われるかもしれません。
 しかし、見方を変えて考えてみると、殉教とは「いのち」をかけてでも自らの信仰を証しする行為であり、むしろ神様のために心を向けた希望に満ちたものだと言いかえることが出来るのではないかと思うのです。
 その点で、私には長崎などの殉教者の姿が、まさにイエス様の十字架への道と重なっていくところがあるように感じてしまいます。
 私たちの生活で考えてみるならば、たとえ今は苦しくとも、辛い日々を過ごそうとも、神様からのミッションかもと言う声に、思いに、自分をかけていくことなのかなと思います。
 正しいことをすればこそ苦しいことも、努力をすればこそ上手くいかないこともあると思います。だからこそ、焦らず、急がず、時間をかけて失敗などもしながら、自らに与えられたミッションに応えていくための準備をするのだと思います。
 その意味で中高時代の多感な時期があり、そのような時が必要なのだと思います。
 そして、最後になりますが、話の冒頭でお話した髪型の話より。
 髪の毛一つとっても、伸びたことを感じるのには時間が必要です。日々の自分では気づきにくく、周りにもなかなか分かってもらえないことです。それゆえ、目にすることがなかなか難しい成長はなおさらのことでしょう。ですが、自分の目、人の目には日々の成長は映(うつ)らずとも、少しずつでも努力は形となっています。この学校は外部の方からよくキリスト教の学校と言われます。その大きなシンボルが教室の左上に掲げてあります。先ほども触れましたが、イエス様の十字架から、苦しいことも希望へとつながることを信じて、年度末から、年度初めにあたるこの期間、典礼暦と合わせて、次の年度がより良きものとなるような準備の時としていきたいですね。
 以上で、お話を終わります。

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