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校長ブログ

~ 校長室の窓から ~ 「放送朝礼のお話(教頭 佐藤先生)」

2017.06.05

おはようございます。
今年度の目標「10の価値」についてですが、今月6月のテーマは何でしょうか?
頭に《無償性》という言葉がパッと浮かんだ方は素晴らしいですね。日頃の意識の持ち方が鋭い方でしょう。掲示板にすっと目がいった人もなかなか良い反応、短い時間を上手に使い多くのことを吸収できる人と思います。
今月は無償性について考えていきましょう。

中学生には難しい言葉かと思いますが、意味はわかりますか?
調べてみると、無償性とは「見返り、報酬を求めない」と書かれています。
みなさんは日々の生活で、そのような思いをもっているでしょうか?またそのような思いからの行動をしているでしょうか?考えてみてください。きっと、「重い荷物を持っている人にすぐ手をかすことができた。」とか、「途中の停留所でバスに乗車された方にさっと席を譲れた」とか?「自分が困っている時に友だちがすぐに手を貸してくれて嬉しかったな」とか?
見返りを期待しない心からの行為を、日常の様々な場面で行っていると思いますし、また、その思いを受け温かな気持ちになっていることを確認できると思います。

話は変わりますが、昨日、私の父の法要(宗教行事)で親戚が集まり、思い出話をしました。晩年、白血病を患い苦しい日々が続いていた父ですが、亡くなる数日前、庭中の支柱(植物を支える針金のようなものと思ってください)、その先端に布切れと脱脂綿を、懸命に巻きつけていたという話を聞きました。庭の手入れをする私が、暗い時でもその支柱で目をつかないようにとの配慮だったとのことでした。
先月の小川先生のお話の続きになりますが、父母の子供に対する愛とは命が終わる直前まで無償なのだと、その無償の愛の中で、私たちは生かされているのだと感じています。

「ただで受けたのだから、ただで与えなさい」(マタイ10:8)という言葉を考えましょう。
天の父の救いの計画は、御独り子をわたしたちへのおくりものとして、無償で、惜しみなく与えてくださったことで完成したと言われます。「だれもわたしから命を奪い取ることはできない。わたしは自分でそれを捨てる」(ヨハネ10:18)とイエスは宣言されています。それは疑いなく、世界の救いのためにご自身をささげられる決断を自分でされたことを示しています。
イエス・キリストは十字架の上で息を引き取られ、私たちの罪を贖ってくださった。無償性はここから始まり、その連鎖をひろげていくこと、そして親が子に与える慈しみはもとより私たちが無償の行為を周囲の人におこなっていくことは、とても自然なことなのではないでしょうか。
「友のために自分の命を捨てること、これ以上に大きな愛はない」聖書の言葉(ヨハネ15:13)ですね。世界では今もテロや戦争、政治の駆け引き、人々のいさかいなど、この言葉とは程遠い憂うべく状況がみられます。しかしながら、清泉で過ごすみなさんは、この世の平和を祈り、周囲の人の苦しみや悲しみに寄りそう生き方をしてほしいと思います。また、「いのちを捨てる」という文字通りの意味ではもちろんありませんが、友のために無償の精神で、自分のその力、能力を惜しみなく使うことができる、本当の意味でのグローバルな人に成長していって欲しいと願っています。

《無償性の行為》 今日から、足元の一歩から実行してください。
 

清泉が大切にする10の価値

( 世界の姉妹校と共有する教育理念 )

1. 愛
2. 生命の尊重
3. 無償性
4. 一致・兄弟愛
5. 正義・連帯
6. 和解・平和
7. 喜び・希望
8. 真理
9. 自由
10. 責任

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