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~ 校長室の窓から ~「放送朝礼のお話 (倫理科 吉岡先生)」

2018.06.04

みなさん、おはようございます。
5月定期試験も終わりほっと一息といったところでしょうか。きっとテストの結果を知りたくない、すでにもう忘れたいという人もいるかもしれませんね。
皆さん、いきなりではありますが、両隣の人の顔を、そして、姿をちょっと見てみてください。 キョロキョロと。 いかがでしょうか?? きっと隣の人は、さぞ素敵な人でしょう。可愛いって思わず声を上げたくなる、ときに、たくましいなと感心してしまうなど、あるかもしれません。
ちょっと、ここで気持ちを切り替え、少しだけお話をさせていただきます。皆さんは、神さまがどのような姿かを想像したことがありますか?
先日の創立記念の御ミサの中で、梅村司教様が「人間は神様の似姿なのです」とお話くださいました。
そう考えてみるとどうでしょう。隣の人から「神さまって意外とえくぼがキュートね」とか。「意外と表情が豊かね」とか、私の声を聞いて「吉岡みたいに坊主頭なの」と、思うかもしれません。
ここで2つ、大切なポイントがあります。
一つ目、それは、なぜ人間は神様の似姿なのということです。
その答えは、神様が人間のことを大好きで、大好きで、本当に大好きで。自分に似せて作りたいと思うほど愛しているということのあらわれではないかと、私は考えます。
そして、二つ目のポイント。それは、どのような人が愛されるのということです。
可愛い人を神様は愛すのでしょうか。勉強の出来る人だけを愛すのでしょうか。運動が出来れば愛してくれるのでしょうか。健康な人しか愛さないのでしょうか。
答えは、可愛いか可愛くないか、勉強ができるかどうか、運動神経があるかないかに関わらず、たとえ反抗したって、健康な身体でなくても、その人にどのようなことがあっても、周りからの、自分からのレッテル関係なしに、その人がその人自身であることを神様は愛してくれます。
勘違いしてはいけません。何か人と比べて出来ることがあるから愛されるのではなく、何かしてくれるから愛してくれる、というわけではないということを。
家族からの愛をイメージすると分かりやすいかもしれませんね。
愛されているからこそ、私たちはときに失敗したって歩んでいける。愛されているから、怒られたって、人を許していく努力が出来るのかなと思います。未熟な私が現にそうです。見返り無く愛してくれる存在がいるから。もっと言えば、神様の愛が人という存在を通して働き、誰かが私を本当に大切にしてくれるから何とか頑張れる。
そこで今日、今のみなさんにお話ししたいことのまとめとして。皆さん、ぜひこの学校で成功体験を積んでほしいと思うことはもちろんのこと、それとともに様々な体験をし、苦労をし、失敗をし、怒られてください。
今の社会を見ていて良くないなと感じるのですが、社会では人と関わることを面倒に感じ、お互いに無関心になり、怒られることもなく、勝手にレッテルを貼り合うこともしばしばです。
でも皆さん、大丈夫です。皆さんは愛されています。大切に思われています。家族に、友達に。皆さんの思いからの好き嫌い、合うか合わないかを別にして、先生方に。
6月の月目標は無償性。各クラスに配布されたポスターに「しなびた心ではなく、はちきれそうな心。まるごと神様に差し上げましょう。」と書かれています。
まずは、皆さんが愛されていることを実感し、イキイキとすること。そして、少しでも神様の似姿である誰かに、源泉である神様に愛されていると感じたならば、その心をそっと祈りで感謝したり、その祈りを行動として、見返りなしに自分を与えてみてはいかがでしょうか。皆さんと同じく、私も、ちょっとでもそのように、この6月を過ごしていけたらなと思います。
以上でお話を終わります。

 

清泉が大切にする10の価値

 

( 世界の姉妹校と共有する教育理念 )

1. 愛
2. 生命の尊重
3. 無償性
4. 一致・兄弟愛
5. 正義・連帯
6. 和解・平和
7. 喜び・希望
8. 真理
9. 自由
10. 責任

 

 

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