~校長室の窓から~「 放送朝礼のお話(理科 池上先生)」
2019.11.18
おはようございます。高2J担任の池上です。
突然ですが皆さんは、小人を見たことはありますか?
私は見たことはありませんが、その存在を信じています。
急に何を言い始めたのか…と思った方も多いと思うのですが、この小人とは、「こびとの靴屋」というグリム童話の中に出てくる小人の事です。ご存知の方も多いと思いますが簡単にあらすじをお話します。
「靴屋を営む老夫婦がいました。腕はよかったものの、歳をとってしまったため靴をたくさん作ることができず、貧しい生活を送っていました。材料を買うお金もなく、最後の1足分の材料を残して、あとのことは神にゆだねるしかないと思い、眠りにつきます。
翌朝目を覚ますと、不思議なことに用意してあった材料を使って立派な靴ができあがっていて、それが高い値段で売れ、新しい材料を仕入れることができました。これが何日も続いていきます。
どうして朝になると靴が完成しているのかというと、実は小人が現れて靴を作っていました。それをこっそり見ていた老夫婦は、驚きつつも小人に感謝をし、小人に服を作ってプレゼントする。」
というお話です。
実は高2Jにはこの小人が現れます。
例えば、どのクラスでもテスト期間中には黒板にテストの予定を係の方が書いてくれる思います。高2Jでは、誰に頼んだわけでもないのに、当日には試験日程が書かれています。
また、クラスに日めくりカレンダーがあるのですが、気が付くと、日付が変わっています。まだいくつもあるのですが、ここまでにしておきます。
もちろん、小人がやっていることではなく、クラスの“誰か”がやってくれていることであることは分かっています。
些細なこと、と感じるかもしれませんが、私にとっても、そしてクラスにとってもありがたいことですし、とても温かい気持ちになりました。
私たちは、誰かに何かしらの形で評価されなければ、また高い評価を得なければ、と感じることが多い日々を過ごして、それに伴って、点数化されないこと、評価されないことから気持ちが離れてしまうことがあります。
もちろん、努力は評価されるべきだと思いますし、誰もが認めるような力があるのは素晴らしいことです。
でも、点数にも評価にもならないようなことを他者のためにさりげなく行うこと、これも簡単なことではありません。
誰が見ているわけでもないのに、誰かのために時間と力を使って、支えてくれている人がいる、ということは、クラスの希望であり、学校の希望、そして社会の希望なのではないかと感じています。
話は戻りますが、こういった理由で私は目には見えないけれど、小人、誰かを思って行動できる人がいることを信じています。
クラスの自慢のようになってしまいましたが、もちろんクラス以外でも学校にはこのような気持ちをもって過ごしている方は沢山いらっしゃいすし、皆さんの周りにも小人は現れているのではないでしょうか。
誰も見ていないと思っていても、分かってくれている誰かがいるかもしれませんし、「何か」が見ていて、とても感謝しているかもしれません。
今月の月目標は希望です。私が普段感じている希望について少しお話をさせていただきました。