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校長ブログ

~校長室の窓から~「 放送朝礼のお話(教頭 小川先生)」

2019.11.12

11月はカトリック教会では死者の月です。私はこの夏、ポーランドに行き、アウシュビッツ収容所を見学してきました。アウシュビッツは皆さんもよくご存知の通り、ナチスドイツが多くのユダヤ人を殺した収容所です。私は約20人のグループに入り、ガイドさんの話を聞きながら約3時間のツアーに参加しました。ガイドさんは若いポーランド人の女性で、冷静にそして丁寧にアウシュビッツで起きたことを説明してくれました。ナチスはユダヤ人だけでなく、障碍者やLGBTの人たち、ナチスに抵抗した多くの一般のポーランド人、神父や修道士など教会関係者も殺しました。過酷な労働、飢え、不衛生な環境、暴力など、アウシュビッツは人間の尊厳がはぎ取られた場所であり、人間の狂気を示す場所でもあります。
でも、正直なところ、その場に立って、建物や展示を見ても、今一つピンとこない感覚があったのも事実です。確かに収容者が閉じ込められた暗くて狭い部屋、多くの人が殺されたガス室などに入ると、背筋が寒くなるような恐怖を覚えました。でも一生懸命当時の様子を想像しても、ガイドさんの話を注意深く聞いても、70年以上たった今、夏の穏やかな風が吹くアウシュビッツで当時起きたことを本当に理解することは難しい気がしました。もしかすると皆さんが原爆が投下された長崎や広島を訪問した時も同じような感覚を持つかもしれません。そのような、ちょっともどかしい思いを抱きながら見学していた時、私が一番惹かれたのは廊下の壁一面に貼られた犠牲者の顔写真です。収容所に到着した直後に撮られた証明写真のようで、皆まっすぐ前を向いています。緊張した顔、心配そうな顔、思いのほか穏やかな顔、色々です。でも一人一人の顔を見ているうちに彼らの気持ちが伝わってくるような気がしました。どんな時喜びを感じ、どんな時悲しみを感じるか、といった人間の思いは時や場所を超えて共通なものです。彼らがどれほど生きたいと願っていたか、人間としての尊厳を否定されて、どれほど惨めだったか、どれほど家族とまた会いたいと望んでいたか、そしてどれほどの絶望を味わったのか。写真から想像する彼らの「思い」というものはストレートに私の心に刺さり、70年以上の時を超えてグッと当時の人々と私の距離を縮めてくれたような気がしました。そして、同時に彼らの希望や願いを封じ込めてしまったアウシュビッツの残酷さが理解できたように思いました。
11月は死者の月です。私たちが身近な人であれ、歴史上の人であれ、亡くなった人々を思い出す、というとき、その人がしたこと、言ったことを思い出す、ということが多いと思います。でも、その人の業績とか、行動とか、言葉の奥にどのような思いがあったのか、何を望んでいたのか、ということに思いをはせるとき、もっと深く時空を超えてその人とつながれるのではないでしょうか。

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