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校長ブログ

~校長室の窓から~「 放送朝礼のお話(社会科 野村先生)」

2019.06.24

おはようございます。社会科の野村佳史です。

私は以前、沖縄に9年間住んでいました。毎日青い海が見えて、あちらこちらで沖縄の音楽を耳にし、おじいおばあの方言はまるで分らない。そんな生活でした。

さて、昨日の623日というのは沖縄に関して特別な日です。「沖縄慰霊の日」といって、沖縄での戦争が終わったとされる日です。アメリカ軍は、19453月に慶良間諸島、4月に沖縄本島に上陸しました。これに対し日本は、日本本土にまで攻め込まれたら困ると考えて、沖縄になるべくアメリカ軍をひきとめて時間をかせぐ「持久戦(じきゅうせん)」の作戦をたてました。沖縄の10代の若者たちも戦争に駆り出され命を落としました。沖縄戦の教訓として「軍隊は住民を守らなかった」と語りつがれています。アメリカ軍から守ってくれる存在ではなく、日本軍のために安全な場所を奪われたり、スパイ扱いされた人がいたりしたのです。最終的には、沖縄戦によって県民の4分の1以上が亡くなったと言われています。

戦後、日本が独立を回復した後も、20年以上アメリカの占領下に留まり、日本復帰を果たしたのは1972515日でした。現在も沖縄にはたくさんの米軍基地があります。

一つ、沖縄で生活していて感じたことを共有させていただきたいと思います。皆さんはオスプレイという乗り物をご存知でしょうか。プロペラが2つあって、飛行機のようでもありヘリコプターのようでもある軍事輸送機です。201210月、沖縄に配備された日、授業中に学校の近くをオスプレイが飛んできました。「あい、ついに来たねぇ」「えー、でーじうるさいな」生徒たちは思い思いの言葉を口にしていました。授業を中断して生徒と一緒にベランダから見上げたのをよく覚えています。その日からしばらく、オスプレイが見えるたびに皆が空を見たものです。

 しかし、何か月がたった後、少し様子が変わっていることに私は気が付きました。オスプレイはあいかわらず頻繁に飛んでいましたが、それがあまり話題に上がらなくなっているなと。もちろん多くの人の目に触れているし、飛行経路によっては騒音もかなりのものです。それでも、もの珍しく空を見上げる人はほとんどいません。徐々に慣れてしまったのか。単に関心が薄れてしまったのか。

 これは実はとても怖いことだと思います。はじめのうちは興味をもったけど、いつのまにか冷めている。はじめのうちは強い反感を持ったのに、いつの間にかあきらめてしまっている。はじめのうちは押し付けられたと思ったものが、いつの間にか「まあこういうものだから仕方ないのかな」と感じるようになってしまっている。オスプレイが怖いかどうかではなく、人々の関心が向かなくなることが怖いのです。

図書館では慰霊の日に関する特集をして下さっています。学年掲示版に簡単なプリントも貼りました。沖縄慰霊の日についての報道に触れることもあるでしょう。また私も沖縄のシャツ「かりゆしウェア」を着ています。今日は校長先生をはじめ、他にも着ていらっしゃる先生方をお見掛けするかもしれません。皆さんが沖縄のことに関心を深めて下さる一日になれば嬉しいです。(結局、50人を超える先生方がかりゆしウェアをきて下さいました。生徒たちも普段とは違う雰囲気を楽しんでくれていたと思います)

 

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