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校長ブログ

~校長室の窓から~「 放送朝礼のお話(倫理科 吉岡先生)」

2019.05.13

みなさん、おはようございます。

早速ではありますが、皆さんには、好きな芸能人や、アーティストがいますか?

その方は、男性でかっこいい、筋肉むきむきの強い感じですか?女性で美しく、可憐な感じですか?

それとも、アーティストということから、類まれなセンスを持ち、豊かな才能のある素敵な方などを思い描いた人もいるかもしれません。

みなさんの言葉を借りれば、「かわいい」とか、「まじやばい」とか、そのような言葉で表すような人かもしれませんね。

ちなみに、私がファンデーションを塗り、目元にはつけまつげ、アイシャドウ、頬にチーク、そして、唇に口紅を塗ったならば、それは美しいになるのでしょうか??

なんだか朝から皆様をもやっとさせてしまい、すみません。

さてここで、本当に「美しい」ということ、「強い」ということについて、シスター渡辺和子さんの本の一節より、少し考えてみたいと思います。私が手にした本には次のように書かれていました。

「皆さんの美しさは、お化粧または衣装による美しさでなくて、知的な美しさでなければなりません。もし皆さんが人の目をひくとすれば、それは決して、奇抜な行動、服装、言動によってではなく、むしろ、深い教養と、今の世に数少なくなった他を先にする態度、美しい言葉づかい、やさしい思いやりによってでなければならないのです。皆さん方の強さというものも、男子と肩を並べ、しのぎをけずるその強さ、他人をけおとしてまで、自らが抜きん出ようというその強さではなくて、自らと闘い、自らに勝つことができる強さです。」

また、次のようにもありました。

「私たちの美しさというものは、生まれつきの器量によるものでも、高価な化粧品をたくさん使うことによって得られるものでも、整形手術を施すことによって得られるものでもありません。それはむしろ、その人の内面から、つまりその人の生き方から生まれてくるものであり、年齢に関係なくあるもの、素顔の美しさといってもいいでしょう。」

私はこれらの言葉を読んで、ある一人の人物が頭に思い浮かびました。みなさんもよく知っている方です。もう、お分かりですね。今週末と言えば、そう!聖ラファエラ・マリアです。

彼女は偉くなるために何かをしたわけではなく、神様に特別に愛されようと何かをしたわけでもありません。神様に愛されている自分が、神様との対話である祈りを通し、神様の望まれることを、自らが生きる社会の中で、自分の目でよく見て、必要だと思う事を自らが行動として表し、神様の愛を伝えたのだと思います。

そこには、見た目の美しさや、他者を蹴落とすような強さではなく、内面から、そして、生き方を通して表れる本当の「美しさ」、「強さ」があったのだと感じます。

今年の創立記念ミサのテーマは、「神の息吹を受けて私は新しくなる」です。毎年私たちは518日に創立記念ミサにあずかるわけですが、皆さんの中には、学年を追うごとに慣れた日の繰り返しだと感じている方もいるかもしれませんが、そうではないと私は考えます。

昨年のあなたと今のあなたは違う、また、来年のあなたと今のあなたは違うわけです。一日一秒私たちは日々違う自分との出会いをしています。

 その日々の中で、私たちは、人や出来事などを通して、気づくこともあれば気づかないこともありますが、1人ひとり神様の息吹を受けています。それは、何か特別な存在だからではなく、ダメな所があり、失敗を繰り返してしまうこともある誰でもない自分自身に注がれているのです。

今年は、創立記念の当日朝に、各クラスで御ミサの中で朗読される聖書個所を配ります。そちらを御ミサに持っていき、聖書を通して神様から自分に語りかけられるメッセージに耳を、心を傾ける時間を共に持ちましょう。

偶然でなく必然により神様に呼び集めていただいた共同体として、今年も共に創立者ラファエア・マリアに思いを馳せ、神様の恵みに感謝し、神様に祈りを捧げる御ミサとなればと願います。

以上で話を終わります。

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