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~校長室の窓から~「 放送朝礼のお話(国語科 倉口先生)」

2019.02.18

 おはようございます。国語科の倉口です。
 皆さんは自分の人生や経歴の中で、人に自慢できることはありますか?
 私はよく、人にこう自慢することがあります。「実はおれ、松坂世代なんだよね」と。
松坂世代と聞いて、皆さんは何のことかわかりますか。

 今から20年前、1998年の高校野球、夏の甲子園大会では、横浜高校の松坂大輔選手を中心に、のちにプロ野球で活躍することになる高校球児がたくさん登場しました。その松坂選手と同学年、1980年、昭和55年生まれの彼らを、もっとも活躍をした松坂大輔選手の名前からとって「松坂世代」と人々は呼びました。もちろん私はプロ野球選手でもなく、甲子園にも出ていません。しかし、松坂選手と同じ学年で、同じように高校野球をやってきました。平均的な高校の野球部員として、小学校から10年間程度、毎日毎日野球の練習をしていました。
 そんな私に、高校3年生の頃、父親がこう尋ねました。「おまえ、どうなんだ、将来野球でくっていけるのか、プロになれるのか」と。とんでもない質問ですね。しかし、スポーツに疎い父にしてみれば、自分の子どもが10年間も毎日やっていることが、きっと将来の何かにつながるのだろうと考えていたのかもしれません。
 私自身も時々、なぜあんなにも野球に時間と労力を費やしていたのだろうかと考えるのですが、最近、ある社会学者の先生の本を読んで、面白い解釈を知りました。皆さんにも紹介したいと思います。

 その先生はまず「良い社会」とはどのような社会かと問い、「良い社会」の一つの要素として「天才を生み出しやすい社会」だと言います。では、天才とはどうやって生まれるのでしょう。みなさんも自分の興味のある分野において、天才と呼ばれる人を一人思い浮かべてください。
 その先生は漫画家を例にして説明をしていました。私の世代だとドラゴンボールの鳥山明さんや、いまならワンピースの尾田栄一郎さんなどでしょうか。では、天才漫画家鳥山明はどう生まれたのか。その先生はこういいます。一人の鳥山明を生むためには、おそらくその何千倍、何万倍もの漫画家になろうとしてなれなかった人々の、人生をかけた挑戦、失敗、挫折があったのだろうと。その数限りない人々の挑戦や挫折の上に、一人の鳥山明が生まれたはずだと。ある分野において、自分の人生をなげうって挑戦する人が多ければ多いほど、その分野には天才は生まれやすいのだと。この話を読み、私の野球の話にもピンとくるものがありました。

 高校の野球部員は、一学年5万人前後だと言われています。この5万人もの高校球児が、小学校の頃からまさに自分の人生をかけて野球に挑戦します。そしてそのうちの99.9%以上がプロにはなれません。しかし、私を含めたこの大多数の高校球児の挑戦と挫折が、まぎれもなく私たちの世代の天才、あの松坂大輔を生んだのだと、そう思えるようになりました。
 皆さんの中には、将来天才と呼ばれる人がいるかもしれませんが、残念ながら、ほとんどの人は、私と同じようにそうではないでしょう。社会全体で見れば、私たち一人一人の人生や挑戦などしょせんはちっぽけな、くだらないものかもしれません。しかし、その私たち一人一人のちっぽけな挑戦なくしては、きっといかなる天才も生まれることはないでしょう。
 みなさん、失敗をおそれずに多くのことに挑戦してください。

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